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 横路・小沢合意の意味 ――民主党はこれでまとまるのかどうか?
   〜「i-NSIDER」No.190より

 高野も設立呼びかけ人の1人である「市民版憲法調査会」は3月8日、小沢一郎を招いて公開シンポジウムを開き、彼の憲法観を聞いた後、五十嵐敬喜=法政大学教授と高野が加わって議論した。本来この集まりは、横路孝弘も呼んで2人に同席して貰うことで企画し予告もしていたもので、それに向けて小沢・横路は数度に渡り1対1の会談を行い、安保観と憲法観について突っ込んで話し合い、我々の印象では九分九厘まで一致しつつあったので、この日は2人が公開の場で初めて同席してそのことをアピールする絶好の機会となることを期待した。ところが当日になって小沢が、「横路さんとはだいぶ討論したが、まだ大事ないくつかの点で合意が出来ないので、今の時点で2人で出るとマスコミが違いばかりを書き立てる恐れがある」と言い出したので、仕方なく2人の対論は先延ばしすることにして、今回は小沢だけ出て貰うことになったのである。

●水と油?

 私は横路と小沢に電話で、「2人が並んで出なければ、それはそれでマスコミは『やっぱり同席できなかった』と書くに決まっている。それよりも2人で出て、ここまでは一致していて、後は残る論点はここだけだということをアピールしたほうがいいのではないか」と説得を試み、横路はそれでいいと言ったが、小沢は同意しなかった。案の定、翌9日付の『朝日新聞』は「調整不調?シンポ同席せず/民主・小沢ー横路氏、安保の溝浮き彫り」と題した記事を掲げ、「シンポジウムで司会の高野孟インサイダー編集長は『新聞は小沢氏と横路氏の考えは“水と油”と形容するが、ガソリンと灯油ぐらいに近づいている』と説明したが、かえって溝が浮き彫りになった形だ」などと書いた。マスコミは、一緒に出ても「溝が…」と書くし、出なければ出ないでやっぱり「溝が…」と書くわけで、何が何でも民主党を分裂させたいらしいのだが、私が言ったのは本当で、2人はガソリンと灯油くらいまで近づいている。

 まず第1に、2人は、日本の国際平和維持・創造活動は国連ベースで行われるべきだという点で完全に一致している。周知のように、国連憲章は、国際紛争はあくまで平和的に解決し、武力の行使や武力による威嚇を原則として禁じているが、その原則を破って平和を乱す者が現れた場合は、安保理の下で加盟国が兵力を出し合って共同対処することとし、さらにその国連の措置が間に合わない場合に限って各国が個別的・集団的自衛権を発動して自衛することを認めている。この共同対処は、理想的な形としては常設の国連軍もしくは国連警察軍であるけれども、臨時の国連軍が編成される場合もありうるし、また国連決議を背景にした多国籍軍、あるいは戦後処理に関してはPKF、PKOという形式もあるわけだが、いずれにしても国連の総意をもって編成され、その指揮下で活動するというのが重要なポイントで、その武力行使は、国際公共価値を守るためのいわば“公戦”であって、それと個別国家が自衛の名であれ何であれ国権の発動として国益を賭けて行う“私戦”とは峻別されなければならない。各国が国連に提供した兵員は、国籍は元のままでも、その仕事に従事する間は国際公務員であり、自国の利益のためには働くのではない。

 このような国連中心の国際平和秩序を「集団安全保障体制」と呼ぶ。それが充実し機能するにつれて、個別国家の武装を軽減しやがて廃止していこうというのが国連憲章の根本理念である。

 この区別を知っておかないと、これから盛んになる憲法第9条をめぐる議論は何が何だかさっぱり分からなくなる。政治家や法律家でもここが分かっていないで議論をしている人がいるし、まして昨今の不勉強な新聞記者などからっきし駄目で、訳の分からないことを書いているので注意が必要だ。

 第2に、原理として国連中心ということであって、現実には地域的安保機構を通じてそれが行われる場合もあり、その点でも2人の間に違いはない。欧州にはOSCE(全欧安保協力機構)という組織があり、ロシアや、NATOの一員である米国、カナダまで含め域内のすべての国が加盟して予め丸テーブルを囲み、紛争解決を域内で図る枠組みがあるし、それを裏打ちするものとして独仏主導で「欧州共同軍」を創設しようという構想が動いている。またASEAN(東南アジア諸国連連合)は「ASEAN地域フォーラム」を作って、中国、韓国、日本、米国、ロシアなど域外国もオブザーバーに入れて、地域の安保協力を進めている。将来は、日本海を囲む日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、それに米国を加えて「北東アジア安保対話」が進展すれば(北の核をめぐる6者協議はその芽となりうるものである)、北東アジアと東南アジアを包む「東アジア共同体」を結成しようという機運が生じるかもしれない。何もかも国連に持ち込むよりも、地域レベルで解決できることは解決するというこの地域的集団安全保障体制は、大きくなりすぎた国連の機能を補完するものとして今後、重要性が増していくことだろう。

●集団的自衛権の整理

 第3に、自民党の改憲案は、日本の国際平和協力を「集団的自衛権」の解禁を通じて果たそうというもので、これには横路も小沢も断固反対である。小沢は8日のシンポで「個別的にせよ集団的にせよ自衛権は、まさに自国を防衛するためにのみ限定的に発動されるものであり、個別的にせよ集団的にせよ自衛の名によって日本が海外で軍事行動を行うことは、国連憲章と憲法の前文と第9条の精神に根本的に背くことだ」と述べた。それはその通りで、米国の要請で、ということは日米安保条約に基づく集団的自衛権の発動として、イラクかどこか遠いところに行って武力行使すればそれは“私戦”であり、国権の行使としての対外侵略戦争となるからである。今回のイラクへの自衛隊派遣は、武力行使するために行くのでないから集団的自衛権の発動に当たらない(から憲法違反でない)というのが小泉政権の理屈だが、しかし、それではもうこれ以上の米国の要請に応えられないということから、憲法を変えて集団的自衛権を堂々と解禁し、世界の果てまでも米国と一緒に出て行けるようにしようというのが自民党の改憲論である。

 もっとも、この点に関しては自民党内にも大きな分岐があり、3月29日訪英の『テレビタックル』特番で私が自民党諸氏に「集団的自衛権でイラクに行くことは出来ない。集団的自衛権を解禁するとすれば、それは日本が侵略され、もしくは侵略される懼れが明白ないわゆる“周辺事態”において日米両軍が共同作戦を実施している場合に、日本が友軍である米軍を助け、あるいは一緒になって行動するという場合に限定されるはずだ。集団的自衛権についてそこを整理して論じないとおかしくなる」と問いかけたところ、舛添要一や平沢勝栄は「その通り」と言っていた。自民党きっての護憲派である宮澤喜一=元首相も、日本防衛に関わって集団的自衛権が発動されるのは当たり前で、例えば日本防衛のための共同作戦に当たっている米艦船が横須賀沖で敵の攻撃を受けた場合に、近くにいる自衛隊の艦艇がそれを助けることが出来ないなどということがあるはずがないじゃないか、という立場である。

 第4に、米国の求めがあれば世界のどこまでもという改憲論に対しては、旧来の社民・共産両党の何が何でも自衛隊を外へ出すなという護憲論では対抗しきれない。彼らは、そもそも自衛のための兵力の保持も違憲だと言っていて、ましてやそれが外へ出て行くなどとんでもないという立場である。この根拠は、憲法では国際紛争解決の手段としての戦争も武力行使もすべて禁じられているのだから、という訳だが、ここでも、正当な権利としての自衛戦争と不当な侵略戦争と国連の下での制裁戦争とを何ら区別することなく、「戦争はすべていけない」ということで押し流してしまっている。これでは、「日本は血も汗も流さなくていいのか」という素朴な感情に応えることができない。

 そこで、国際平和の維持・創造には国連もしくは地域的な集団安全保障体制をもって当たり、それには日本も先頭に立って参加する一方、日本防衛に関しては、必要最小限の自衛力と日米安保条約をもって当たり、その個別的・集団的自衛権はきわめて制約的に扱う、という小沢流の整理が民主党全体の合意となれば、これこそが自民党的改憲論に対する有効な対抗軸となりうるのである。

●多国籍軍の扱い

 小沢と横路は3月8日の時点でそこまでは一致していた。違っていたのは、多国籍軍というやっかいなものの扱いで、例えば91年湾岸戦争の多国籍軍のように、確かに国連決議を背景としてはいるものの、実態は米軍指揮下の寄せ集め連合軍というような場合、小沢は国連決議があるのだから日本は武力行使を含め参加して当然と言うが、横路はあれは国権が束になっただけの米国の同盟軍だから武力行使まで踏み込むのはまずいと言うのである。他方、小沢も、国連決議さえあれば何でも構わないというのではなく、原則としてそこまで出来るということを憲法の条文上もしくは解釈上で明確にしておくことが重要で、その上で実際の個々のケースでは、今回のフランスやドイツのように不参加の判断をすることがあり得るのは当然だと語っていた。

 そこでその点をさらに2人の間で詰めた結果、国連決議のある多国籍軍には原則として日本も参加するけれども、「ただし、参加の有無、形態、規模等については、国内及び国際の情勢を勘案して我が国が主体的に判断する」という表現でギリギリ妥協を図ったところが、3月19日付の横路・小沢合意文書の最大の眼目である。

 国連決議の裏付けのない今回のイラク戦争とその延長としての占領(占領は戦争の一形態である)は、米英の私戦であり、それに日本が米国の同盟国だという名分で参加することは、武力行使はもちろんのこと、後方支援だけであっても、また人道的復興支援のための占領への加担であっても、憲法に違反する。難しいのは、91年湾岸戦争のように、国連決議はあるが実質は米国指揮下の同盟軍という場合で、小沢はそれでも形式的要件としては整っているのだから原則として全面参加――つまり参加しようと思えば直ちに参加できることを憲法的にも明確にしておくべきだという考えである。これに対して横路は、実質は米国指揮下の同盟軍では国連決議があっても米国の私戦であることに変わりないではないかという立場で、しかしそれで行くと、国連指揮下の国連軍なら公戦であるから日本は参加するが、多国籍軍には一切参加しないということになる。8日の時点で小沢が「大事な点で合意が出来ていない」とこだわった最大のポイントはここだったのであり、それが上記「ただし」以下の文言で歩み寄ることになったのである。

 確かに原理的には、私戦=不参加、公戦=参加が大原則だが、現実には国連指揮下の国連軍が常設はもちろん臨時にも成立していない中で、その代替として米国主導の多国籍軍が編成されて「半ば公戦」になった場合に参加・不参加の判断基準をどう立てるのかは議論の残るところである。他方、自民党的な立場は、たとえ私戦であっても後方支援だけなら侵略戦争には当たらないというものだが、これは原理的に曖昧である上、現実的に戦闘行動と後方支援の境目などある訳がないので、憲法上、重大な疑義がある。さらに自民党や民主党の中には、公戦=参加でいいのだがその場合も日本は武力行使でなく後方支援までに止めるべきだという考えの人たちもいて、これも自民党的立場と同様、原理的に曖昧である。横路・小沢合意を踏まえて、民主党がこのあたりをさらに整理していくことが出来るのかどうかが焦点となろう。▲


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