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 ◆東アジア共同体の可能性 ――シンポジウムへの問題提起
   〜「i-NSIDER」No.192より

 3月31日に早稲田大学国際会議場で同大学「21世紀日本構想研究所」の主催により「東アジア共同体の可能性」と題した国際シンポジウムが開かれた。これには、韓国から金泳鎬=高麗大学教授(元産業資源大臣)、中国から馮昭奎=社会科学院研究員、沖縄から高良倉吉=琉球大学教授、日本から仙谷由人=衆議院議員が参加し、冒頭に高野が「東アジア共同体の可能性」と題して問題提起を行い、その後活発な議論を繰り広げた。高野の問題提起の要旨は次の通り。 

1.21世紀初頭の国際関係をめぐる原理的な対立

 イラク戦争をめぐって、米英と大陸欧州、とりわけフランスとドイツ、さらにはロシア、中国、インドも含めたユーラシア諸国との対立が深まっている。この対立は、(1)戦争そのものの正当性(大量破壊兵器がなかったなど)の問題が直接の原因であるが、それだけでなく、(2)国際テロに対処するのに国家間戦争という手段が果たして有効性があるのかというより一般的なレベルの問題があり、さらにもっと原理的には(3)冷戦後から二十一世紀に向かう世界の秩序を、米国の一国覇権主義を容認し支援し、米国の力による新しいパックス・アメリカーナが出来ることを期待するのか、それとも多極世界を想定して、国連や地域機構の場を通じて辛抱強く合意を作り上げていく国際協調路線を採るのか、という大きな選択問題が絡んでいる。私の結論を先に言ってしまえば、米国の一国覇権主義はいずれ破綻し、世界は多極化の中での国際協調に向かわざるを得ない。

 多極主義を領導している1人はフランスのシラク大統領で、その外交顧問をしているのはエマニュエル・トッドである。トッドは『帝国以後』で要旨次のように言っている。

「アフガニスタンとイラクに対する派手な戦争は、米国の強さよりも弱さの表れである。弱さとは、経済的に見て米国はモノもカネも全世界に依存して生きるほかなくなっていることであり、外交的・軍事的には、それを維持できなくなる不安からことさらに好戦的な姿勢をとって、自国が世界にとって必要不可欠な存在であることを証明しようとするのだが、欧州、ロシア、日本、中国など本当のライバルを組み敷くことは出来ないので、イラク、イラン、北朝鮮、キューバなど二流の軍事国家を相手に“劇場型軍国主義”を演じるしかない」

 冷戦の終わりは、私の捉え方では、単に戦後40年余りの冷戦そのものの終わりを意味したのではなく、それ以前の熱戦の時代も含めて、ヨーロッパ近代の所産である国民国家がそれぞれに重武装して国境を隔ててせめぎ合い、いざとなれば武力で決着だという原理が国際関係を支配した、その3世紀にも及ぶ国民国家の時代の終わりを意味していた。ヨーロッパが2つの大戦で壊滅した後に、その東の辺境であるロシアと、西の辺境であるアメリカに、巨大な国土と人口と資源を持ち核兵器を備えた“超大国”が出現した。それは、国民国家が行き着くところまで行った極限の形、いわば国民国家のお化けであり、冷戦が終わったことで超大国もまた終わった。ところがブッシュ父は、「米国は冷戦に勝って、唯一超大国になった」と錯覚した。その“唯一超大国”というイメージを、現実の外交政策として展開したのがブッシュ息子の一国覇権主義である。本当は、唯一になった時に超大国もまた意味をなさなくなったのであり、米国は“超”の付かない普通の大国として自らを軟着陸させるのでなければならなかったが、それが出来ずに自ら混乱に陥り、世界に大迷惑を及ぼす存在になっている。

2.0SCEをモデルとした多極主義、地域主義の流れ

 多極主義のモデルをなすのはOSCE(全欧安保・協力機構)である。これは、1975年ヘルシンキに、まだ冷戦さなかにも関わらず東西欧州のすべての国の首脳が集まって、安全保障、経済協力、人権問題などを話し合うCSCE(全欧安保・協力会議)の第1回会合を開いたのが始まりである。当時の西ドイツのイニシアティブによって始まったこのCSCEが欧州の冷戦を終わらせる上で大きな役割を果たしたと評価されている。そして冷戦が終わると共に、同会議は「域内で紛争解決の手段として武力を用いない」ことを宣言し、OSCEという常設機構に発展解消した。あらかじめ敵を定めて味方だけが結集する国民国家時代の敵対的軍事同盟とは根本的に性格を異にして、OSCEは、その地域に存在するすべての国々が日常からテーブルを囲み、トラブルを話し合いによって解決するという原理に立つもので、国連憲章が理想として掲げる集団的安全保障体制を地域レベルで実現しようとするものと言える。

 しかし米国は、欧州に影響力を行使するテコとしてNATOを手放そうとせず、相手方のワルシャワ条約機構が解消したにも関わらず、NATOを存続させ、湾岸戦争、コソボ紛争、アフガニスタン戦争などでは自国の一国覇権主義を偽装する道具として活用した。そのためOSCEはやや影が薄くなっている感があるが、今回のイラク戦をめぐる対立から、フランスとドイツの主導で「欧州共同軍」を創設して、米国に振り回されることなく欧州独自の軍事的選択が出来るようにしようとする動きが強まっている。

 このOSCEの原理をアジアでいち早く採り入れたのがASEAN(東南アジア諸国連合)で、元々の経済同盟としての性格から踏み出して「ASEAN地域フォーラム」を創設し、これに域外の日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、米国、インドなど十三カ国も引き込んで、紛争の予防、信頼醸成、話し合いによる解決のための場として、すでに一定の成果をあげつつある。さらに経済面では、ASEANのイニシアティブにより、ASEANと日本、ASEANと中国、ASEANとインドと3方向にFTA(自由貿易協定)のネットワークを作り上げ、それを報じた『朝日新聞』の見出しを借りれば、「アジア30億人マーケット」の形成を進めようとしている。その先には当然、アジア通貨圏が構想されることになるだろう。

 それ以外にもユーラシア大陸では、ロシアのEUへの大接近があり、ロシアおよび中央アジア諸国と中国とが地域安全保障策を話し合う「上海機構」が設立され、中国とインドも対話を再開するなど、多極主義、地域主義の流れが様々に展開しており、米国はむしろ孤立に向かっていることが明らかである。

3.ますます対米従属に陥る日本の戦略不在

 そうした中で、しかし、日本の小泉政権は、ひたすらブッシュの米国に追従し、アフガニスタン戦争でインド洋に軍艦を派遣したのに続いて、イラクに自衛隊の3軍を派遣した。これらは、戦闘に従事しないという制約が課されているとはいえ、米国が行う対外戦争に軍事面で加担するものであることには変わりなく、こうなると「集団的自衛権は行使できない」とした政府統一見解を維持することが難しくなって、それを憲法上で明示的に容認しようとする改憲論が自民党内で高まっている。

 他方、経済面では、軍事費の膨張を主な要因とした米国の財政赤字増大を背景に、ドルの長期的低落が始まっている中で、多くの国々が資産の少なくとも一部をユーロに移す動きを始めている。その中でほとんど日本だけがドルを買い続け、昨年初めから今までに30兆円もドルを買って米国債の形で保有している。ドル危機はこれまで何度も起きたが、ユーロという準基軸通貨が登場してドルに代わる逃げ場がある中でのドル低落は初めてであり、米国自身は気付いているのかどうか分からないけれども、そこに思いもよらない破綻が訪れる可能性が潜んでいる。このようにして小泉は、軍事・外交面でも経済・通貨面でも米国に日本の運命を堅く結びつけ、心中も辞さないかの方向を採りつつある。

 米国に付き従うばかりでは日本の将来も危うい。日本は「アジアに生きる」――アジアの中で適切な占めるべき地位を得て、アジアと共に生きていく以外になく、そこに日本の側から見た北東アジア、あるいはそれとASEANがリンクした東アジアの共同体を作り上げていくことの戦略的重要性がある。きっかけとなるのは北朝鮮の核疑惑をめぐる「6カ国協議」である。この6カ国は、そのまま「環日本海」諸国であり、北朝鮮の問題の解決からさらに進んで、この地域の安全と紛争防止、経済協力について話し合う包括的な多国間協力・対話の場として発展させるべきである。

 先日も尖閣諸島に中国の青年たちが上陸して騒動になったが、この尖閣問題や韓国との竹島問題、さらには日本の北方領土問題や台湾海峡の問題など、この地域に残っている冷戦の傷跡も、それぞれ2国間のやりあいに委ねておくだけでなく、そのような多国間の対話の枠組みの中に採り入れつつ、例えば日本海の資源の共同管理を実現していく方向で建設的に解決を図るべきではないか。

 日本が歴史的経緯から来る近隣の不信感を未だに拭えないでいて、それをめぐって近隣諸国からも日本国内からも粗野なナショナリズムが高まるなど、この地域に協力を根付かせていく上での困難はたくさんある。しかし長い目で見て日本がアジアに生きるしかないことは明らかで、そういう意味で今日のこの会では、東アジア共同体づくりの可能性と困難さ、メリットとデメリットをいろいろな側面から自由に討論して頂くことを期待したい。▲


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