対談
私たちの提案は、五十嵐敬喜と高野孟らが昨年末以来、
およそ次のような対話を重ねてきた中から生まれました。
対話の要約を記して経過説明に代えさせて頂きます。

●2年後に山場を迎える憲法状況

高野 「9・11テロ事件以降、世界も日本も“何でもあり”というような一種異様な雰囲気になって、集団的自衛権のなし崩し的な発動を可能にするテロ支援対策法が本質的な議論を抜きにしたまま成立して、初めての自衛艦の海外派遣が行われました。さらにその延長で、まるでドサクサまぎれのように、今国会で有事法制案も上程されようとしています。こうした流れは、結局のところ、2年後に国会の憲法調査会が最終報告を出すのにタイミングを合わせて、自民党が改憲案を出して国のあり方を大きく切り替えていくことに収斂されていこうとしています」

五十嵐 「日本もアメリカと同じようにテロと戦うべきである、それには“集団的自衛権”を発動して自衛隊が参加しなければならないが、その集団的自衛権を憲法第9条は認めていない、そこで憲法を変えることが現実的な課題というわけですね。他方では、日本経済は底なし沼の状態にあって、小泉内閣の“聖域なき構造改革”もスキャンダルまみれの中で掛け声倒れに終わろうとしている。小泉に至る行政や政治改革などの一連の改革も役に立たなかったということになると、このまま座して死を待つのか、それとも改革の究極である憲法改正に着手して一挙に打開するのか、という気分になっているのでしょう。不況、財政危機などの不安感が改憲を促進するということがあるかもしれません」

高野 「しかも、小泉内閣が行き詰まって解散に打って出ると、それをきっかけに与野党ガラガラポンの政界再編になって、そこへ石原慎太郎東京都知事の“石原新党”が登場して与野党の一部若手がそれに同調するというようなことになって、憲法をめぐる状況の煮詰まりがもっと繰り上がってくることも考えられますね」

五十嵐 「私の直感ですが、現在の与野党の枠組みを超えた政界再編は必至で、その場合に間違いなく“憲法”が再編の中心軸になると思っています」

●旧来の改憲・護憲の対立図式を超えて

高野 「そこで問題は、自民党保守派や“石原新党”の側からの改憲論は、それはそれで狙いが分かりやすいが、それに対抗するのが旧来型の護憲論だけというのでは困ってしまう。かつて55年体制の時代には、自民党が第9条の改悪を中心とする改憲を叫び、社共両党が『一指も触れるな!』と護憲を掲げて抵抗するという図式でしたが、今回もこれでは結末は見えている。国会には共産党も含めた憲法調査会ができており、憲法改正のための道筋が避けて通れなくなっているのだから」

五十嵐 「護憲派は、安易に改正論に乗って別の案を出したりすれば敵の罠にはまるという考え方です。また改憲論には環境権やプライバシー権など時代に即したいかにも肌触りのよい提案もあるけれども、それは第9条の改正による自衛隊出兵という主目的を実現するための目くらましにすぎないのだから、決して騙されてはいけないという立場ですね。こうして、旧来型の改憲論と護憲論は、憲法を改正すべきかすべきでないかの入り口で衝突してしまって、かってはそれ以上の中身の論議に進むことができなかった」

高野 「防衛政策をめぐる論議と同じで、旧社会党や共産党は、自衛隊は違憲であって、本来は存在してはならないものだという前提に立つから、批判し抵抗するばかりで、防衛政策や予算について具体的な論争をして中身を修正するといったことに手を染めなかった。その結果、かえって防衛予算の膨張を許し、冷戦後の防衛戦略の転換も促すことが出来なかったのです」

五十嵐 「憲法の理念やシステムと現実とのあいだに落差が生じているわけですが、改憲派は、それは現行憲法の規定が悪いのだから現実に合わせて憲法を変えるべきだと言うのに対して、護憲派は、そうではなくて憲法を正しく運用していないからそうなっていただけで、憲法を変える必要はないと言う。しかし、私たちは、そのどちらでもなく、憲法の規定と具体的な現実とを突き合わせていきながら、必要に応じて憲法の条文を変えることを含めて解決策を考えるという立場に立ちたい。それを“論憲派”と呼びましょう」

高野 「“論憲”は今の民主党もそう言っているし、旧社会党の時代にも山花委員長の時代に論憲とか創憲とか言った言葉がありました。旧社会党の“論憲”は、『いや、とにかく論じるのであって、論じた結果、必ずしも改正しようということにならないかもしれない』という論法で、護憲派と妥協を図るための理屈という側面があって、今の民主党にもそれは少し引き継がれています。だから、私はあんまり好きな言葉ではないのです。私はいわば市民的積極改憲論ですからね。旧来型の受動的護憲論に対して能動的護憲論と言ってもいいです。しかし、五十嵐さんが言われる意味はよく分かります」

五十嵐 「この論憲派はこれまで、改憲派と護憲派のあいだに挟まれて、あまり目立ちませんでした。単に目立たないというだけではなくて、例えば環境権など今の憲法で足りないところだけを部分的に追加すればいいので、全体は第9条を含めいじらない方がいいという部分修正論と、そうではなしに、明治憲法、現行憲法に代わる新憲法として抜本的に改定すべきだという全面改正論とが、整理されないまま内在していて、そこが弱さになっていた」

高野 「私は後者で、堂々と、恐れることなく議論して、自分たちの案を出せばいいじゃないか、それが抜本的で建設的な案であれば国民の支持を受けないはずがないじゃないか、という意見です」

五十嵐 「同感です。憲法と現実の落差は、かなり本質的なところから生まれている。端的に言って現憲法では、主権者である国民が正当な位置を与えられていない。これが官僚支配を生み出している最大の原因で、これを改めなければならない。そこで重大問題については国民が自ら決定するという、直接民主主義の大幅な導入ということを新しい憲法の柱にすえるべきだと私は考えているのです。そうすると、単に新しい条文をひとつ二つプラスするというのではなく、1つ1つの条文と、それら全体の配置を、論理的で体系的に考えていかなければならないということになります」

●第9条をめぐる“第3の道”の可能性

高野 「先ほどの、憲法の条文と日本の現実に乖離があって、現実に合わせて憲法を変えるのか、憲法理念に合わせて現実を変えようとするのかという問題は、第9条に即して言うと、戦後日本の政治をずっと突き動かしてきた『憲法法体系と安保法体系の矛盾・相克』という問題になります。2度の世界大戦の悲惨の後に、もう国家同士の紛争を戦争で解決するなどということはやめようじゃないかという趣旨を中心に据えて1945年に国連憲章ができて、その憲章の精神をいち早く体現するものとして46年に日本国憲法の第9条《戦争放棄》の規定ができた。ところが世界はたちまち米ソ冷戦に突入して、その冷戦の現実には国連憲章および日本の第9条の理念・理想はいかにもそぐわないものとなってしまった。その状況で、旧来型の改憲論と護憲論の対立図式が展開したのですね。しかしその後45年を経て冷戦が終わって、本当はわれわれは今ようやく、憲章や憲法の理念を実現できる時代の入り口に立っているわけですが、その時にアメリカは依然として冷戦時代の思考から卒業できずに、“唯一超大国”という幻想に取り憑かれてアフガンで戦争したり、次はイラクを空爆しようかなどと、相変わらず武力で問題解決が可能であるかの行動をとっている。そして日本は、そのアメリカの、私に言わせれば“暴走”ですが、それに歩調を合わせて、日米安保条約に内在している“集団的自衛権”を解禁して、それを憲法上で容認できるようにしようとしている。つまり、それ自体が冷戦の遺物にすぎない安保法体系を、有事法制も含めて、今更ながらに完成させて、その下に憲法法体系を従属させようとしていることになります」

五十嵐 「事実はそのとおりです。ただテロを含むいわゆる危機に対して国民はどうすべきか護憲派も、具体的な提案を出せなかった」

高野 「本来なら日本は、冷戦が終わって国連憲章と日本国憲法第9条の理念・理想の実現にむかって歩み始める世界環境がようやくできてきたのだという観点に立って、アメリカの一方的な軍事力行使を批判し、国連や地域機構でのねばり強い対話と協力を通じた問題解決の努力こそ中心に据えられるべきであること、どうしても強制力が必要である場合はあくまでも国連の総意に基づいて、国連の指揮の下に平和維持活動が行われるべきであり、それには日本も積極的に参加することを主張するのでなければいけないと思います。そういう意味では私は、第9条についても積極改正論者で、現行の条文を“解釈改憲”の余地のないよう明確な文章にして、国権の行使としての対外戦争は集団的自衛権の発動も含めて絶対にやらないというその本来の趣旨を徹底すると同時に、専守防衛のための最小限の自衛隊を持つことを明記し、さらに国連(もちろん国連が現状でそのように機能するのかどうかという問題があって、その改革の方向を考えなければならないのは当然ですが)の下での国際平和活動は、日本の国益のための国権行使とは明確に区別をして、積極的に参加することを宣言するのが正しいと思います。まあ、ここはいろいろ議論があるところですが、私はそのようにして、安保法体系を憲法法体系に従属させることが大事なポイントだと思っています」

五十嵐 「そこはたくさんの議論があるところですね。私は、憲法9条の主権の発動としての武力の行使は絶対にしないということと、危機対応は別に考えたらよいと考えます。もっと根源的には、成熟した都市社会では、さまざまなリスクから考えて、そもそももう戦争はできない。これは日本だけでなく世界に通じる普遍的な論理だと思っているのです」

●たくさんある憲法論議の論点

高野 「さて、憲法というとまず第9条問題という認識がおかしいのであって、ほかにも論議すべき問題が山ほどありますね」

五十嵐 「勿論です。高度経済成長の名によって、あまりにも環境が壊された。日本全国どこを見ても、やせた杉林とコンクリート固めの川、海岸線はテトラポットで埋め尽くされています。私は最近『美しい都市をつくる権利』という本を出しましたが、単に環境を破壊するなというにとどまらず、もっと積極的に、美しい都市をつくってそこに暮らしたいという願いを国民の権利として捉えて、それを憲法上に表現したいと考えています。また、そのような破滅的な事態が止まらないのは、中央官僚主導を市民がチェックし参画する仕組みができていないという問題があるからですが、行政、議会そして司法のあり方なども、これまでのような誰か偉い人(あるいは組織)が、国民を支配するという[統治機構]としてではなく、市民自らが決定する、それを手助けするという「市民の政府」として再構築したいと考えています」

高野 「それは、明治以来の発展途上国型の官主導のシステムを、成熟国型の民主導の原理に転換するために、もっと直接民主主義の要素を導入すべきだということですね」

五十嵐 「そのとおりで、市民は“間接民主主義”による統治の対象なのではなくて、“直接民主主義”による“統治の主体”にならなければなりません。そうすると、そもそも現在までの議院内閣制がそのままでいいのか、それとも、より直接民主主義的な大統領制度を導入すべきなのか、などという論点も重要になってきます」

高野 「選挙制度も、せっかく小選挙区制に変えたのにいっこうに政権交代は起こらない。だから鈴木宗男に象徴されるように、族議員と官僚の癒着も直らないということになります」

五十嵐 「そのためには、国会内の多数派から首相を選ぶという議院内閣制よりも、国民が直接選ぶ大統領制のほうがよいのではないか、と多くの国民が考え始めています。また衆議院と参議院の二院制はこのままでいいのかというようなこともあるでしょう」

高野 「地方分権は、私は新憲法の柱だと思っています。明治以来の行け行けドンドンの発展途上国時代は、みな働くのに忙しく、決定権をエリート官僚に委ねてしまうのも仕方がなかったけれども、世界で2番目の経済規模を持つ成熟国になってまだそんなことを続けていたのでは、経済は回らず社会は混乱するばかりです。“地域主権連邦国家”とでも言うべき徹底的な分権システムに切り替えて、生活に関連する公共事業はじめ投資や予算の配分はすべて地域社会に任せるようにしたい。問題によっては、民間企業やNGOに委ねる方が適切で、そうなると民営化や規制撤廃ということになるし、また問題によっては、誰というのでなく市場の判定に委ねましょうということになって、それが市場原理の導入です。そうやって、中央官僚が一手に握っていた決定権を、地域、民間、市場に向かって手放させていくのが、私はこの国家改造の眼目だと思っています」

五十嵐 「実際そのようになったら、本当に日本は変わりますね」

●市民が自分たちで憲法を創る

高野 「こういう議論をもっともっとたくさんの人たちとやって、それを1つの案にまとめ上げて、国会に持ち込むということにしたいですね」

五十嵐 「憲法改正はもはや、研究者や評論家のテーマではないし、政治家任せにしておいていい問題ではありません。憲法は国と国民のあるべき姿を示す最高の規範なのですから、国民自身があらゆるところで論議して創り上げていくべき国民的なテーマです。誰かが作った案を、国民投票で賛否を表せばいいということではない。かつての明治憲法は、確かに日本人の手で作られたけれども、しかしそれは一部エリートによるものであって、国民が直接関わったものではありません。また今の憲法は、周知のとおり、アメリカの占領部隊であるマッカーサーがイニシアティブをとって作られた。今回の日本近代史上3番目になる憲法こそ、国民が自ら案を考え、これを国会に上程し、それを国民投票で決する、というものにしなければならない。憲法制定の発議権は国会に独占されるのではなく、中身も手続きも、何よりも主権者である国民にある。これは聖徳太子以来、日本では歴史上初めての実験になります。」

高野 「いま、特に9・11以降の異様な流れや政治の現状に違和感や危機感を抱いている人はたくさんいると思います。でも何をしたらいいのか分からないということもあるでしょう。そこで、大きな議論のためのテーブルを設けて、この1〜2年間かけて市民の側から積極的に憲法を論じて1つの案にまとめていくということを、今まで『憲法なんて言われても私は素人で……』と思っているような方々も含めて広く呼びかけてはどうでしょうか」

五十嵐 「市民版憲法調査会ですね」

高野 「憲法を軸にして新しい流れを市民側から作っていくというのは画期的だと思います」