「憲法 .com」トップページへ
「学習会レポート」へ

「あの人が語る憲法」トップページへ

 中村啓三 「憲法をどう考えるか」  第1回学習会

中村啓三(毎日新聞論説主幹)
(タイトルをクリックするとその項目にジャンプします)
 ・時代に合わなくなってきた憲法
 ・環境問題が最優先課題
 ・市民的価値の創造
 ・NPOの連帯革命
 ・人権に見る日本国憲法の限界
 ・憲法の限界を知る
 ・この国の形を知る



時代に合わなくなってきた憲法

 事前に行った五十嵐ゼミとの議論では、問題提起については私たちとはかなり重なりながら、違うものであるという感想を持っています。毎日新聞では「考えよう憲法」という社説を1年で40回続けました。タイトルには、“考える”ことを主軸に考え、「考えよう」を先に持ってきました。

 問題意識のひとつは今の憲法はちょっと古いのではないかということです。2番目には時代に合わなくなっているのではないかということです。いまの憲法を運用するにしても、限界を持っている憲法であることを自覚して運用することが必要だと考え、条文を変えることまで踏み込まずに議論をまとめました。古くなっているところ、時代に合わなくなってきたところを、2つの言葉で表してきました。一つは西部進さんや中山太郎さんに私たちの憲法を見せて、これならいまの憲法の方がましだと思わせ、護憲派にしてやろうという挑戦です。もうひとつは3人のレスターというアメリカ人の問題提起に憲法は答えているのだろうかという問題意識です。

このページのトップへ

環境問題が最優先課題 レスター=ブラウンからの問題提起

 1番目はレスター=ブラウンです、彼は、環境問題を最優先に考えないと私たちは21世紀を生きていけないと言っています。快適に生活するためではなく、健康で文化的な生活を犠牲にしてでも優先して取り組まなければならないとしたら、憲法25条や環境権という概念だけで答えられるのかという問題があります。

このページのトップへ

市民的価値の創造 レスター=サローからの問題提起

 2番目はレスター=サローです。彼は冷戦では社会主義諸国には勝ったかもしれないが、資本主義の危機が始まるのではないかと問題提起をしています。彼の言葉によると、資本主義は欠陥を持っています。

 資本主義は競争と利潤と利益を基本的な判断の基準としています。そこでは連帯や協調という言葉はこの原理からは出てきません。同じ職種の人間は資本主義の視点ではみんなライバルです。彼らに連帯や協調を与えるならば、資本主義とはまったく違う市民的価値の体系を育成しなければ、資本主義は資本主義のそのものの原理の中でつぶれてしまいます。

 また、資本主義は歴史的遺物の保存に不熱心です。ある企業が買った広大な土地に価値の高い歴史的遺物が発掘され、これを保存しようとすれば、その企業の株は暴落です。どんなに市民的価値があるとしても、それが資本主義の考え方です。もし歴史的遺物を保存するほうがより大きな価値があると認め、かつその企業の存続も認めようというのであれば、資本主義とはまったく違う市民的価値として対置していかなければなりません。

 資本主義は人権についても消極的です。長時間労働や青少年の労働、深夜に及ぶ労働といった問題を克服しようという原理は、資本主義の中からは出てきません。これに替わる原理はどこに求めたらいいのでしょうか。

 環境問題についても同様です。かつて環境問題については、日本に学べという動きが世界にありましたが、その日本でも夜陰にまぎれて川に廃液を流すということが行われていました。資本主義の原理から言えば当然です。

 資本主義を制御する価値の体系が、民主主義というシステムの中で互いに牽制しあうことで、資本主義は社会主義に勝ったと言えるでしょう。

 19世紀以降、市民的価値の体系を提供したのは、資本主義ではなくリベラリストやソシアリストでありました。植民地支配はいけない、男女は平等である、環境は守らなければならない、長時間労働はダメ、といった問題を提起したのは彼らでした。自分たちの人間的価値をどう実するかという形で出てきました。社会主義が世界的に衰退するいま、資本主義をだれがどう制御するのか。私たちは社会主義に勝ったことで、市民的価値の創造というとんでもない課題を突きつけられています。

このページのトップへ

NPOの連帯革命 レスター=サラモンからの問題提起

 3番目はレスター=サラモンです。福祉国家は国民国家の延長として、戦争をするための国家から生まれてきました。民族の生存を守るための存在として意識された国家が、きちんと戦争をする体制としてあるために、福祉という装置が対置されました。ところがこの福祉国家は大きな政府になりすぎて崩壊を始めました。

 それに代わって、NPOがまったく新しい問題解決の主体となりつつあります。これまでは組織、お金、人がいないと世の中を変革するような大きな運動を起こせないと信じられていました。しかし、それら自身は何ら変革を起こせず、戦後の平和運動も大きな組織を持ちながら、なんとなく共感を得られず潰れていきました。それに対して、対人地雷のNPOの活動を見ると、7つか8つの団体の呼びかけがインターネットを通じて広まり、彼らはノーベル平和賞を取るに至りました。

 組織ではなくネットワークという、これまでとは違う運動が起こり、運動への概念がずいぶん変わってきました。世界貿易会議の閣僚会議には、7万人くらいの人たちが集まりました。組織とかお金とかとは全く違う形で、小さなNPOが連帯するととてつもない大きな革命が起きる。これをレスター=サラモンは連帯革命と名づけました。19世紀以来、国民国家という単位が問題解決の中心と思い込んでいた時代に、取って代わるような大変な時代になってきました。問題解決に大きな力を持つようになったNPOについて規定を置いていない憲法というのは、いったい何なのかという問題があります。

このページのトップへ

人権に見る日本国憲法の限界

 理想的な憲法が創られているという幻想があり、その限界に気付かれませんでした。たとえば、第10条では「日本国民たる要件は法律でこれを定める」とあり、人権規定にある「何人と」いう言葉は日本国民であると理解されています。憲法には“基本的”人権とありますが、これはいわゆるヒューマンライトという概念ではないのではないでしょうか。日本国憲法は国連の人権宣言が採択される前でした。共通する理念はあるものの、問題理念普遍的な国連を舞台としたあらゆる人間を包括した人権宣言と、一国の最高法規として定めたものとは自ずと形が異なってきます。

このページのトップへ

憲法の限界を知る

 これまでは、国民国家において市民的価値が機能していたときがあり、国家に信仰がありました。何かあれば「国は何をやっている」「役所は何をしているのか」ということを口にしてきました。そうしたものは崩れていくし、崩したほうがいい。私たちは憲法を見直す結果、憲法に実体として書かれていなくても、新しい概念の一部は運用も可能だと思います。そうした憲法の限界がわからなければ、私たちは憲法を守ることは出来ないし、国家の力を復活させることが憲法改正の主眼であると考える人たちには対抗していけないでしょう。

このページのトップへ

この国のかたちとは何なのか

 そういう中で、憲法とは何であろうかということが2つの点で提起されなければいけません。ひとつは、憲法とは国民と国家の社会的契約という言い方をします。そこで言われる国民と国家の関係の実態とは、資産や自治をする能力、参政する意思がある(限られた)人と国家の契約でした。国民主権と言われる中で、統治する側と統治される側の社会契約とはいったい何なのか。相互契約として憲法を見直すべきでしょう。

 もうひとつは憲法とは何なのかということです。憲法は、英語ではconstitusion、「構成する」という言葉が当てられていますが、この国のかたちとはいったい何なのでしょうか。日本国憲法は敗戦を基礎とした特殊な憲法ですが、この国のアイデンティティはどこにあるのでしょうか。“日本”を規定するものはどこに入れたらいいのでしょうか。私たちはこの問題に答えなければいけません。

このページのトップへ