〔聞き手〕高野孟(「インサイダー」編集長)

大きい政府か小さい政府か

高野
 みなさんの回答を見ると、野田さんは規制緩和、市場原理主義的な傾きが強い。横路さんは公的資金、社会的な基盤整備、雇用などのセーフティネットに重きがある。あえて違いを探すとそういう点があり、鳩山さん、菅さんはその間にいる感じがする。これは大きい政府、小さい政府とか、別な言い方では強者育成なのか弱者救済なのかという古典的な問題につながってくる。しかし、今日では二者択一的にとらえる段階は通り過ぎていて、ヨーロッパでの第三の道のような模索の中には、二者択一を超えたポリシーミックスのいろいろな試みが行われているのではないか。原理的なことだが、大きい政府、小さい政府、強者育成か弱者救済か、あるいはそのバランスがどうあるべきか。

鳩山 大きい政府、小さい政府という分け方自体が、年代が古くなっているのではないか。しかし、そういうわけ方で答えるのであれば、小さい政府志向だ。ただし、それは現在中央が持っている大きな権限と財源を地方に移譲しろという話で、将来的には道州制に移行するという意味だ。そうであれば、しっかりした地方政府を目指すべきだ。だから図体がでかくなるという話ではなく、トータルとすれば、地域を合わせた政府全体のコストを安くすることができると信じている。強者、弱者の発想も一概に言える話ではない。ただ、自立支援という形で政府が力を貸すべきだ。すなわち、政府そのものが何でも口を出すという発想ではなく、雇用、福祉、教育でも、自立を求めて行動する人たちに対して支援をするという役割が、政府の役割ではないか。最初からカネをドンとめぐんであげるからありがたく思いなさいという方式の旧来型の発想を取るべきではない。そういう意味では、弱者自立救済であり、強者に対してはいま現実の経済を見ると、必ずしも市場原理が万能ではないと思っているので、その部分での規制は改革をしていく必要がある。

横路 日本の政府は大きい政府か小さい政府と聞けば、大きい政府と答える人が多いと思う。大きい政府とは税金などの負担が重く、それで福祉国家を作り上げているというイメージだった。ところが、日本の場合の税負担はどうかと言うと、所得税や法人税はイギリスやアメリカ並みで、先進国の中で一番負担が低い。そして、社会保障の給付は、GDP比で言うとアメリカよりも低い。日本は、そういう意味では小さい政府だ。だから、みんなが税金の負担が重くて、それで福祉国家を維持していると思うなら、それは事実ではない。公共事業がGDP比で、先進国の2%に比べて8%あるという点と、中央政府の許認可権が大きいというところが、大きい政府たる所以だ。実際はきわめて小さい政府になっている。日本の社会保障給付がどうしてそんなに小さいのかと言えば、いままでは家庭で家族が面倒を見てきた、企業が福利厚生で面倒を見てきた。公共事業もある意味では社会保障の役割を果たしてきた。公共事業によって地域に雇用を作り、経済が成長してきた。60年代の経済構造での役割だ。いまでは核家族になり、家族で面倒を見れなくなり、企業も福利厚生まで面倒を見ることができなくなって、国の役割は一体何だということが問われている。大きい小さいという言葉ではなく、中身を見て社会保障を充実すべきだ。例えば、小泉内閣は母子家庭の児童扶養手当をカットしたが、母子家庭は本当に困っている。そういうカネは必ず消費に回るのであって、貯蓄には回らない。子どもや失業給付は充実させるべきだ。

野田 単純に小さな政府か大きな政府かという議論は意味がない。横路さんが言うように、社会保険料と税負担を合わせた国民負担率は、ほかの国に比べてそんなに大きいものではないし、国家公務員の数も人口あたりで比べれば、小さな政府と言えるかもしれない。その小さな政府が無責任に非効率なことをやってきて、大きな借金を作ってきた。だから私の目指すのは効率的な政府だ。小さいか大きいかではない。もう一つは、現象や数からは小さな政府なのかもしれないが、官営ビジネスを含めて、その影響力は甚大であると思うし、あまりにも統制規制の多い国だと思う。自由主義の国と言われているけれども、自由主義という仮面を被った官僚主導の社会主義国家だと思う。したがって、小泉さんがやろうとしている構造改革の中で規制改革等については、ブレーキではなくてアクセルを踏む方に位置づけられてもいいだろう。そうでなければ早急にビジネスチャンスを作っていくことはできない。さらに言えば、政府事業ももっと民営化の視点で考えていくべきだ。郵政関連法案の議論があったが、あれは単に郵便事業に民間が参入できるかどうかということよりも、240兆円の郵貯、150兆円の簡保を基本的には廃止していって、その分の真水が民間の金融機関、企業、個人の懐に入った方が、よほど日本経済の活性化につながると思う。

 大きい政府、小さい政府の議論はいろんな表現があるが、端的に言えば小さくて強力な中央政府と充実した地方政府。江戸時代の中央政府、徳川幕府がやっていたのは外交、防衛と大規模な治安についての秩序維持で、学校の教育からありとあらゆること、税金まで各藩がやっていたわけで、そういう部分は江戸時代に戻せばいいと考えている。強者育成、弱者救済という二分律は分け方が問題だが、例えばセーフティネットという言葉がある。私はときどきトランポリンという言葉を使う。つまりは一旦失業した人がいろんな職業教育を受けて、再度チャンスをつかめる。あるいは、私の年代はそろそろ窓際からリストラになっているが、中高年が年齢差別を受けないで再チャレンジができる。こういう仕組みを含めて弱者救済というならば、やらなければいけない。同時に、強者育成というよりも日本の場合は、野田さんが言ったように、自民党は社会主義経済の政党で、鈴木宗男氏がなぜカネが儲かるかと言えば、官僚と手を組んで、官僚には天下り先を、自分にはピンハネを、そしてやってる事業はほとんど役に立たないということでやってきたわけだから、その部分については徹底的に壊して、自由主義経済に任せるべきところは思い切って任せる。セーフティネット、あるいは弱者に対するきちんとした対応があるからこそ、思い切って自由主義経済のマーケットに任せることも可能になってくると考える。


日本経済の活性化と金融問題

高野
 いまの経済状況で需要を創出しなければならないということは共通の認識だが、その需要の作り出し方の一つが新しい形の公共事業だと話がすでに出ている。もう一つ比思うのは、民間の経済を一体どういう風に元気にしていくか。簡単に言って、21世紀の日本はどの辺で世界と勝負しながら、活き活きとした経済を作り出していくのだろうか。21世紀日本の発展戦略と言うべきか。例えばクリントン政権は明確でITで行くんだということだったが、ブッシュ政権は戦争経済で行くのかよくわからない。では一体、日本は21世紀どこで世界に貢献しつつ、活力を得ていくのか。一つの鍵はモノ作りの知恵にあると思うが、その点についてはどうか。もう一つは世界を相手にしている中小企業は多いが、そこにサポートが届かない。なぜなら、金融がまったく機能していないという問題がある。依然として不良債権問題を引きずっているのを早く片付けて、日本の元気になるところに血液を送ることを金融がやらなければならない。そのことと相まって、元気の芽がどこにあるのか国民に見えなくなっている状況が問題ではないか。日本の発展戦略、そして金融のあり方について意見が欲しい。


 金融から言うと、98年の参議院で大勝して橋本政権を退陣に追い込んだ後、わが党は金融再生法案と健全化法案を出した。あのとき健全化法まで実行していれば、いまのような形にはならなかった。参議院では勝って私が首班指名を受けたが、衆議院では小渕さんが受けて政権交替までは行かなかった(ので実行できなかった)。徹底して査定をやって、責任を取るべきところには全部取らせて、その代わりバッドバンクにおいては、不良債権は公開競争入札で全部売っていしまい、その穴は公的資金で埋める。グッドバンクについては、ちゃんとして形で動かす。いま結果的に長銀が一番元気のいい新生銀行になっているというような皮肉ではあるが、わが党の法案がいかに効果があったかを示している。21世紀の日本がどこでメシを食っていくか。一つは言うまでもなく環境だ。自動車、水素ガス、水素エネルギーを含めて一つの軸となる。もう一つはモノ作りにおいて、オーダーメイド型産業というものがあり得るのではないか。大量に同じものを作るのであれば人件費が30分の1の中国に対して勝ち目はない。しかし、一つだけ特殊なものを納期に合わせて作る能力は、日本の中小企業は非常に高いものを持っている。もう一つはナノテクノロジーと言われるが、地元で聞いた話では、100万分の1ミリリットルの血液をコントロールする。(その会社は)半導体をいろんなものに使ってる機械で、世界でも優秀な200名くらいの中小企業だが、高いシェアを持っていると聞いた。オーダーメイド型の産業、ナノテクノロジー、そして環境こういったところは国際競争に勝つ。そこには研究開発の考え方そのものも変えなければならない。日本では偉い先生の下についている人には多少カネが流れてくるが、先生がいない優秀な研究者にもカネを流すべきだ。プレーヤーとジャッジをする人は一体だから、いいプレーヤーに資金が流れないという問題がある。そういうところから変えていって、いま言ったようなところを中心にすべきではないか。

野田 日本丸を再生するために構造改革が言われているのだと思う。そのための政府事業の様々な民営化の視点での改革や規制改革等は先に述べたとおりだが、日本丸の機能がよくなっても、日本丸が航海する海原が枯れてしまっては意味がない。その意味では、国益と地球益が連動することをいかに考えていくかが、21世紀の日本の課題だと思う。菅幹事長が話したような環境もまさにそのテーマであるし、江戸時代から循環型社会を作ってきた本来の得意な分野であると同時に、いまも(得意分野である)燃料電池や風力発電、バイオマスといった日本の環境保全のための技術を活かしたビジネスを起こし、世界に売って地球益を守る。日本がどうやって食っていくかというより、国益と地球益を合わせて地球にも貢献するという、志ある国になっていくのではないか。金融の問題は当面の最大の課題であり、不良債権の処理を早急に抜本的にやらなければいけないし、厳しく査定した上で公的資金の再注入は避けられないと思う。一時国有化をした上で再編をするのも一つの方法だし、そうせざるを得ない状況が来ている。97年に韓国が経済危機に陥ったときの金融改革には大いに学ぶべきだ。かなり強い政府の主導で金融改革を行った結果、銀行の数は半分になり、銀行員の40%がリストラされた。そして不良債権比率が4年前の20数%だったのがいまは2%だ。それくらい政府の公的管理を強めた不良債権処理を、いまはもうせざるを得ない状況が来ているのではないか。

横路 バブルが崩壊した90年代に、日本の企業は力を失ったかのように、みんな思っているが、実は研究開発の分野では非常に頑張って努力している。特許を取った企業の世界上位10社のうち、7社は日本の企業だ。研究開発投資もしっかり行われている。これからやはり日本の場合は、技術は従来から大きな力を持ってきたわけだから、研究開発投資を進めていけば、いままでの蓄積もあり、あとはうまくカネが回る状況になれば、大変優れた労働力を持っているから、そんなにいまの状況に悲観をしていない。そこに未来がある。アメリカにはいろんな分野でやられたが、環境問題を中心とした日本が従来から強い分野に特化していくことができればと思う。それから、日本のいまの中小企業を見ると、日本の経済もサービス化している。90年代の日本でもアメリカでも、伸びた産業、事業所は個人に対するサービスと事業所に対するサービス分野だ。事業所では一番伸びているのは人材派遣と人材教育、個人に関する分野では健康や保険、レジャー、教育、文化だ。こういった分野は日本でも伸びており、規制緩和をしっかり行えばもっと伸びていく分野だ。自民党の10年間の政治や経済がうまくいかないのは、古い経済体質をベースにして公共事業投資でやってきたからダメだった。サービス経済に対応した需要創出をどうするかと言えば、先に話した社会保障の分野を充実させることの方が、生産波及効果も雇用吸収力もあるから、当面はここに力を注いでいくべきだ。

鳩山 いまの日本は、一方ではアメリカに、他方では中国、アジアに挟み撃ちにあっている。一方のアメリカは金融資本主義が行き過ぎてきた。金融資本主義の行き過ぎに対しては、モノ作りの価値を高める新たな資本主義を作り上げていくことが、日本にとって非常に重要ではないか。他方の中国との間の戦いは、安い労働力との戦いだと言っても過言ではないならば、ここに対してはモノ作り同士の中の戦いで、さらに新しい価値を作り上げなければならない。いままで話があった中で自分も2つ言いたい。一つはみなさんが言ってきた環境。資源制約型、資源は有限しかないのだという中で、いかにしてコストを合わせて新たな計算の中での資本主義を作り上げていくか。もう一つは健康だと思う。健康という意味になると、農業の価値がもう一度再発見されなければならない。人間の健康を維持発展させるための資本主義のあり方を作り上げていくことが、非常に重要だ。モノ作り、中小企業をいかに活かしていくかという話になると、小泉さんが全然できていない不良債権の処理を、民主党が真っ先に行うことで、中小企業を早く活性化できると信じている。不良債権の処理の迅速化こそ、民主党が最も先に行わなければならないと感じている。


小泉改革の何が問題か

高野 小泉改革をどう越えていくか。改革とは、最終的には大蔵省の解体、つまり大蔵省を通じてカネが省庁タテ割りで流れる仕組みを解体するところに行き着くはずなので、(大蔵族出身の小泉さんには)初めからできるわけがないと思っていた。あれができないこれができないというより、小泉改革のどこが一番問題で、ここが自分の言う改革とは違うんだという1点を話してほしい。

鳩山 先に話した不良債権がなぜ進まないか。小泉首相自身が銀行族だからだ。そのことを考えれば、財務省のあり方を根本的に変えるという指摘は正しいと思う。電子政府は財務省自身も民営化させてしまうという発想につながる。それを本気でやるかやらないかというものが、この国の将来を決めていくのではないか。財務省の民営化、役所の民営化というところにまで議論を進めていくことによって、大きな政官業の癒着を完全に打破する姿勢を作り出すことができる。

横路 小泉さんの改革を見ていて強く思うのは、改革規制会議、経済財政諮問会議、骨太方針などを見てもアメリカ型の競争社会である。日本の経済は護送船団方式だったから、自由でフェアで透明な競争というのは重要だと思うが、それを社会のあらゆる分野に拡大すると、日本の社会はどうなるのかという思いがする。90年代を通じて雇用が流動化して、格差がだんだん生まれてきている。医療改革では混合治療、公民ミックスと言って、いまは国民皆保険制度でいつでもどこでもだれでも治療が受けられるが、これから保険制度と自費治療との組み合わせになる。そうするとカネのある人とない人で受けられる治療が変わってくる。それがいいという考えもあるが、自分は日本の国民皆保険制度は世界に冠たる制度だと思っているので、こういう競争主義をどんどん進められていることに小泉改革の問題点を感じている。

野田 不良債権の処理も、公共事業の改革も、技術論としてはだれでも語れる。その必要性は多くのみなさんが共有できると思う。問題は、そこの具体の過程において、公共事業で深く関わっていくのが、ある種闇社会的なアングラだ。不良債権処理で行き詰っているのもそのアングラだ。マスコミが第4権力なら、第5権力がある。この第5権力と戦う覚悟があるかどうかが本当は試されている。小泉さんは言葉ではいろいろ言うが、そこまで戦う気はないのではないか。もう一つ足りないのは、改革をした後に国民にとってどういう構図になるのか。例えば、地方分権の視点が全くないというのは、受益と負担のメカニズムがもっと分かりやすくなる改革といった視点が全くないということだ。中央突破の財務省主導による手法にあまりにも毒されている。

 改革は初めからできないのではなく、初めからではないとできない。厚生大臣のときにつくづくそう思った。ではどうするか。まず予算。ボトムアップで課から局から前年比105%で上がってきてだんだん調整して最後は閣議で決める。これは絶対にダメだ。イギリスは、大蔵大臣と数人のあまりカネを使わない役所の大臣で小委員会を作る。まず全体のマクロ的な経済から来年度の予算の総枠を決める。そしてそれぞれの役所の配分を決め、それから小さい局なりに行く。当たり前なのに日本はそれができない。加えて言えば、事務次官会議。予算、法案ともすべてここを通らないものは、戦後閣議に一度もかかってきていない。だから、そういうボトムアップでは障壁は変わらない。最初から変えない限りは変わらないというのが実感だ。

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