〔聞き手〕山口二郎(北海道大学大学院教授)

政権を取ったら憲法改正に着手するか

山口
 私自身、10年ほど前に護憲の枠を取り払ってよい憲法を創ろうと言い出したが、最近の憲法論議を聞いていると、民主主義の基本をわかっていない人が「昔に戻れ」などと言っていたり、役人が住基ネットみたいなことをやりたい放題やっていて、基本的人権が非常に危なくなっている。このような状況で憲法論議にうかつ乗ってしまうとまずい。この問題をどう扱うかは非常に難しい。しかも民主党にとって、憲法問題や安全保障問題がまとまっていないというのが、悪口の常套文句になっていて、この代表選挙でそういう亀裂を深めるのは得策ではない。今日は各候補の違いを協調して弁論大会にしようというのではなく、基本的な日本の民主主義、国のあり方について合意を確認するという方向にしたい。まず、次の総選挙で民主党が政権を取った場合、憲法改正に着手するという考えがあるか。もし着手するならどの部分をどう変えるか。

 最初の内閣で憲法発議ということは考えない。憲法を変えられる日本でなくてはならない。つまり、憲法改正ができないというのはある意味では民主主義の弱さであり、時代が要請するもの、変えるべきものは議論をして変えればいいと思う。いま戦後50数年間1度も変えていないものを、自民党から民主党に政権が移った最初の内閣、最長4年間の段階で発議をするのはあまりにも重すぎる課題だろう。もう一点言えば、憲法にはいろいろな問題点がある。もちろん憲法9条の問題もあるが、多くは憲法に問題があるのではなく、憲法どおりに動いていない問題がたくさんある。例えば憲法94条には地方公共団体の行政執行という言葉がある。これが国の持っている、いわゆる憲法65条で言う「行政権は内閣に属する」という国の行政権と、地方の行政権はどういう関係なのか。私が予算委員会で取り上げたときに、これは並列、つまり国にも県にも市町村にも国民がそれぞれ主権を信託している、国と地方は決して上下関係ではないということを、内閣法制局は答弁した。しかし、霞ヶ関はそういうことでは全く動いていない。あるいは憲法29条の財産権の問題も、公共の福祉という問題がある。私は土地問題を長くやってきたが、土地は最大の公共財だと考えている。地球の表面を「これは自分のものだ」と言えるのは天地創造の主以外はいないのであって、せいぜい「しばらくお借りする」としか言えないものが土地だと思う。財産権と公共の福祉の関係は、学者もそうであるが、絶対的所有権で「自分の土地なら何をやってもいいんだ」という考え方で、日本の都市政策はいろんな意味で行き詰っている。憲法では国民主権や公共の福祉が謳われているが、実はすべてそれとは違う原理で動いていて、明治憲法から何もかわっていない。憲法15条には官僚の選任、罷免は国民固有の権利だと書いてあるが、霞ヶ関で官僚に「あなたの罷免権は国民にあるんだ」と言っても、「はあ?」というような顔をする連中ばかりだ。明治憲法から変わっていないという意味は、天皇の官僚ということだが、天皇が毎日いるわけではないので、(戦前の)軍部が統帥権の独立で走ったのと同じように、戦後の経済官僚も国民が毎日人事権を行使するわけではないから、それで勝手なことをやった。私は厚生大臣になった初日の朝に、厚生省の役人を全員集めて、「あなたたちは国民を行政の対象と見ているだろうが、それは違う。あなたたちを任命する権限は国民から総理大臣が受けたものを私が預かっているんだ」と述べた。そういう意味では、憲法の問題は、いまの憲法がねじ曲げられて運用されているのも、大きな観点だ。

野田 この国が本当にいまの日本国憲法どおりに動いているのかということを精査すると、そうでない部分が多すぎると思う。例えば司法権の独立と言いながら、行政権にかなり遠慮している。財政民主主義、財政法治主義と言いながら、ブラックボックスであまりに見えないところが多すぎる。あらゆる問題を総点検すると、この国が本当に、憲法の精神を活かして運営されているかと言うと、決してそうではない。そのことに目をつぶらずにいたい。私は新しい憲法を目指し、憲法を根本的に見直す立場だが、現実的にはそう簡単ではない。現実運用の中で憲法で抜け落ちている部分はどう解釈をしていくのか。あるいは憲法で規定されているにも関わらず、その通りに運営されていないことをどう議論していくのか。そういう現実対応が大切だ。その意味では、本当は新しい憲法を制定すべきだと考えている。国民主権と基本的人権の尊重と平和主義は、人類が努力をして血を流して勝ち取った原理であり、守ると言うよりは拡充すべきものだ。国民主権はもっと底上げをしないといけない。首相公選を含めて、直接自分たちのリーダーを選べるように、あるいはもっと国民が直接的に物事を決められるように、国民投票ということを考えてもいい。基本的人権の尊重では、いま新しい人権概念がどんどん生まれてきている。さっき議論になった環境権であるとか、あるいはプライバシーの権利などをちゃんと規定しておけば、住基ネットのような問題にも歯止めが効くのではないか。そのほかにもいっぱいある。しかし、現実的には憲法改正までは、まだ世論形成が必要ではないか。ただ、そのことによって自分なりの憲法観を明示した上で、憲法観が醸し出される党の運営を行っていきたい。自分の政権が取れた後に憲法改正論であるという立場を示すが、具体的に実現可能かどうかはそのときの状況判断になる。

横路 小泉内閣に代わって横路内閣ができたとしても、憲法改正の発議はしない。憲法には国によっていろいろな規定の仕方があるが、日本の憲法は日本の国の理想、目標、国の根幹を決めている。あとの詳細は法律で、例えば生存権の規定はどういう内容なのかということになれば、それはそのときの状況によって違う。それは法律で制定しようということに、日本の憲法はなっている。いま日本が置かれている状況そのものが、憲法に何か原因があるのかと言うと、別に憲法に原因があって今日の状態が生まれてきているわけではない。むしろ憲法が一つの目標として掲げていることを、しっかりと具体化する努力を怠ってきていることに大きな原因がある。国民主権についてもそうだ。最近は地域の中からも住民投票条例のようなものを作って、いまの代議制の持っている弱さを克服するために、直接民主主義的な側面を拡大しようという声がある。ではこれは憲法改正をしなければできないのかと言えば、そうではなくて、法律や条例を作ることによって十分にできる。そういうことがたくさんある。そこをしっかり見ていかなくてはいけない。同時に憲法を考えるときに、21世紀の日本や世界は何が問題でどういう社会であるべきなのかということが大切だ。日本の9条や前文の精神は、日本の特殊のように言われているが、実は国連憲章の精神と共通している問題だ。これからやはり、世界の中で戦争をなくして、どうやって平和な国際社会を作っていくのかということは、非常に大きな21世紀の価値観の一つだ。去年子どもサミットがあったが、そこに出てきた子どもたちが、いろんな状況に置かれている子どものことについて訴えていたが、世界はまさにそういう状況にある。そうするとこれからの日本の社会、世界の社会の中で、日本の憲法は何を目標にしていくのかということが問われているわけだ。現実に合わせてスタンスを置いた憲法というよりは、目標や理想を持って、それに向かって現実をどうやって変えていくのかということの方が、よほど大切ではないか。その意味ではむしろ、憲法の規定を具体化していく努力をしていかなければならない。

鳩山 私が政権を取ったあかつきには、憲法改正については大いに発議して議論をしていきたい。憲法が現実に守られていないとか、必要だけどまだ世論形成ができていないから時期尚早ではないか、いつかはやりたいけどまだ時期ではないという発想が、必ず繰り返して議論される。それは一言で言えば先送りの議論だ。数年前から憲法調査会を党にも院にも設置をしながら議論を続けていく中で、世論はかなり動いてきているという実感がある。現実に民主党の中でも、私の下に憲法調査会を置いて、最初は鹿野道彦さん、そのあと中野寛成さんに中心になってもらい、5つの作業部会に分けれて議論してもらい、最終的に7月31日だったと思うが、報告書をまとめてもらった。これは調査会の報告としてまとまったもので、まだ党としてネクストキャビネットでの認知はしていないが、基本的に全員が議論に参加した中での報告書だ。完全なものであるとは決して言えないが、そこまで来ていることも実態として認めてほしい。したがって、このような報告書をベースにしながら、しっかりとした憲法の議論を行っていくべき時が来ている。先送りというものは許されない状況だ。そこで、どのような議論をするのかという話だが、先にプライバシーの権利の話もあったし、環境権ということで自分の健康を害さないための権利も謳う必要がある。そういうものと同時に、一番大きな議論は統治のあり方ではないか。首相がなかなか大きな力を振るうことができない原因の一つとして、首相の権限が制限されているということがある。したがって、内閣から首相府というものに作り変えていくような発想が求められている。二院制の議論も必要だ。政党というものが未だに政党不信の波にさらわれてしまっているのは、政党自体が憲法に何ら存在が謳われていないことも起因している。このような統治のあり方を根本的に議論をする。それだけではなく、9条を含めた安全保障の議論を行っていくべきだ。安全保障の議論では、まずは集団安全保障をきちんと謳い、日本が世界の中でどこまで貢献できるのかを謳う必要がある。当然、日本が未来永劫、侵略的行為、戦争行為を行わないのは当たり前の話だから、それは謳わなければならない。一方で、平和に向けての、平和を作り出すための貢献が、必要最小限の武力という話の中で極めて制約されてしまっていることを考えれば、まずは集団安全保障の議論をしっかり行って、日本が果たすべき役割を明示すべきだ。党での議論で完全な結論が出ているわけではないが、これをベースにしながらきちんとしたものを作らなければならない。もし政権を取って4年の任期があるならば、党の基本的な憲法の議論を、“論憲から創憲”というように、新しい憲法を作り出すというところまで高めていくことができればいいと思う。それくらいの意欲を持って進まなければ、憲法改正の議論は先送りされるだけだ。


アメリカのイラク攻撃を支持するか

山口
 安全保障の問題について具体的な話をしたい。日本は日米安保体制を機軸に専守防衛でやってきた。国際的な平和に対する貢献はPKOという作業をやってきた。ところが昨年のテロ特措法によって、より踏み込んで、アメリカの単独行動にも必要があれば後方から支援をするという風に動いている。今年の秋か末にブッシュ政権は、イラクに対する攻撃を始めようとしているという報道が行われている。これは仮定の問題ではなく、もしそういう事態が生じた場合に日本をどうするかということについて、きちんと議論をして選択肢を用意しておく必要がある。ヨーロッパでは、ブレア首相が条件付きで協力というスタンスなのに対して、ドイツは全面的に反対というスタンスで割れている。仮に民主党政権のもとでそのような事態が発生した場合に、どう対応するのか。

鳩山 ブッシュ政権のイラクに対する様々な武力攻撃に対して支持はできない。基本的には支持すべきはない。昨年の9月11日にアメリカはテロの大変な攻撃を受けた。その思いで、テロの話から、アルカイダ、タリバンを掃討するためにアフガニスタンに攻撃をしてきた。その延長線上のような形で、イラクの大量破壊兵器の開発を阻止するための論理を作り出すことには無理がある。したがって、テロ特措法のときにできた法律で、イラクがアメリカによって攻撃を受けたときに、アメリカに対する支援をそのような方向からすることはできない。一方で非常に分かりにくいのは、イラクがどこまで大量破壊兵器を開発し、それが脅威になっているのかという情報が、日本にはあまりにも少ない。マイケル・グリーンさんが来たときにもその話をしたが、正確な情報を与えてもらわないと判断できない。イラクへの査察はを阻止できないという状況であることはわかったが、基本的にはアメリカとの同盟関係を結びながらも、何らかの国際的な世論形成の中でイラクを封じ込めるようなやり方をしなければいけない。そのための最大限の協力をすべきではあるが、イラクに対してアメリカが武力で攻撃を行うときに、いまの状況では支持できない。

横路 日本の自衛隊は、日本の国土を守るための組織であって、ほかの国の軍隊の軍事行動に協力するための組織ではない。アフガニスタンにおける米軍の戦争に対して、米軍は自衛権の発動ということで行動したので、NATOは集団的自衛権の行使として協力をした。日本の自衛隊の協力も、結局は集団的自衛権の行使と実質的に同じだった。それをイラクでやるということにはもちろん反対だ。国際法的にも何も根拠がなく、アメリカに都合のいい善悪二分論だ。アメリカにとってイラクは最初は悪だった。隣のイランが王政のときは、イラクは親ソ国家でアメリカにとって悪だった。ところが、イランでホメイニ革命が起きて石油資本が国有化されると、今度はイラクを応援して軍事力を与えて、イランイラク戦争を起こした。そのときアメリカにとってイラクは善だった。軍事力を与えすぎたものだから、クウェートに侵略して、今度はまた悪になった。環境によって悪だったり善だったり、アメリカの都合で変わっている。そしてフセインを悪者にするために湾岸戦争で流した映像が二つあって、クウェートの油田が破壊されて水鳥があっぷあっぷしている写真と、イラクの兵隊が病院に入って保育器から赤ちゃんを放っぽり出した映像がアメリカで流れた。この二つの映像を、国連の演説や国内で、ブッシュ元大統領が大いに使って宣伝をした。いまそれは何だったかと言うと、アメリカの広告会社が作った広告であって事実ではなかった。その宣伝で、アメリカの国民の中ではフセインは悪者だという印象が、非常に強く残っている。イランイラク戦争のときにイラクが化学兵器を使ったというのは事実のようだが、アメリカは当時それを黙認していた。だから、イラクは国連の査察を受け入れて、査察をするというのが大前提の話で、いまアメリカが攻撃をするということは絶対に認めてはいけない。

野田 私は基本的には9条に自衛隊を戦力として明記すべきだという立場を取っており、集団的自衛権を認める立場だ。でも、それを憲法で、文章で改正していくのは困難な作業だ。ただ、解釈改憲で集団的自衛権は行使できる。集団的自衛権とは、権利であって義務ではない。個別具体的に日本はどうするかを考えるべきであって、日米同盟はこれからの日本の外交、安保を考える上で大切な2国間関係ではあるが、今回のイラクの問題については空爆は絶対にすべきではない。まさにこういうときにこそ、NOと言える日本でなくてはならない。フセインを仮に打倒して駆逐したとしても、その後にどういう政権を作るか。反フセインの勢力は四分五裂していて、どんな傀儡政権を作っても無理で、恐らく長引くドロ沼の解放戦争になる。そのことは結局はイスラム文明対アングロサクソン、キリスト文明の戦いという“文明の衝突”のスタートになるし、アラブ諸国だけではなく、インドネシアを始め関係諸国に甚大な影響が出る。そのことに日本は安直に加担すべきではないし、それこそ国際世論と連携しながら、前のめりになっているアメリカにストップをかけていくのが、わが国の使命ではないか。特にブッシュ政権になってから、京都議定書の問題や今回のイラクの話等々、前のめり過ぎる、孤立主義が過ぎているので、そのことは日本がきっちり言うべきだ。

 先ほどから集団安全保障とか集団的自衛権という言葉が出ているが、私の場合は普遍的安全保障という言葉を使っている。自衛隊は専守防衛の実用の軍隊として認められているが、それとは違うジャンルがある。世界が一つの国のように想定すると、世界の憲法があり刑法がある。その世界の刑法に違反した国がある場合、それを取り締まらねばならない。警察がそれを取り締まるのであるが、警察が取り締まる行動は国と国の戦争とは少し違う。取り締まるという概念から言えば、そういうものを普遍的安全保障と呼んでいるが、現在の憲法でも参加することは可能だ。そこで実際に武力的な攻撃に積極的に参加するかどうかというのは政策的判断であるが、憲法的にはそのように解釈している。そういう点で、いまの憲法をどう解釈すべきかというところでは、確かに不明確な点があるから、憲法の解釈あるいは改正議論は、議論としてやることは決して反対ではない。冒頭で述べた発議というのは、憲法96条で言う発議をするには国会で3分の2の賛成が必要であるし、最初の菅内閣でやるかと言えば、それはちょっとできない。イラクの問題はほかのみなさんとほぼ同じだ。先日アメリカに行って来たが、イラクの攻撃についてはかなりの可能性があるというのが、当時のアメリカ国内の専門家の見方だった。早ければ中間選挙が終わる11月末、遅くとも1月と言っているが、情勢はアメリカ政府が思う以上にかなり厳しくなっている。国内での反対のほか、特に、穏健派アラブ諸国も強く反対しているし、最後はトルコの基地を使うと言っているが、トルコ政府もまだ必ずしも態度をはっきりさせていない。積極的な支持を出しているのはブレアくらいだ。日本は少なくとも、新しい国連決議もなく一方的な攻撃をするのは賛成できないと、事前にブッシュ大統領に姿勢を伝えるべきだ。


アジア外交をどうするか

山口
 話は憲法からそれるが、小泉さんが北朝鮮に行って、アジアの冷戦に終止符を打つという動きを始めるのかなという期待がある。民主党政権ができた場合、中国脅威論や日本におけるナショナリズムの問題など、アジアの中での外交は難しい問題があるわけだが、この点についてどう進めていくのか。

 北朝鮮は2度行ったが、2度目はさきがけで与党3党という立場で行った。大変交渉が難しいみたいですが、小泉さんが出かける以上は相当しっかりした事前の打ち合わせがあるのだろう。ニクソン大統領が中国に飛んだときは、キッシンジャーが行った。まさか外務省の役人任せでこの決定をしたのではないだろうが、大変危うい感じがする。中国あるいは東南アジア、先日はインドも行って来たが、アジアにおける日本の存在というものと、日米関係というもの、常に日本の外交はこの2つの軸がある。日米関係はもちろん日本の外交の機軸ではあるが、一方でアジアの一国、ユーラシア大陸の東の端の日本である。文明的にもこういう国々との共通性が非常に高い。こういうものを考えた中で、個別的にはいろいろな安全保障についてのフォーラムなどの意見を持っているが、アジアの一国として、同時に海洋国家日本として、アジアとアメリカを軸に世界のことを考えていく。これが日本外交ではないかと考えている。

野田 小泉さんの訪朝については、もう少し成算を持ってやっているのかと思ったら、そうでもない感じだ。人質をとられて身代金を要求されているところへトコトコと行くようなものだ。ちゃんと拉致をされているみなさんを返すことができるのであれば、政治生命を賭ける意味はあるが、昔のよど号ハイジャック事件の“男・山村新次郎”を思い浮かべて、“男・小泉純一郎”になりたいのだろうか。成果を上げてちゃんと拉致問題だけでも解決できればそれは前進だが、大変厳しいような思いがする。日中関係、日韓関係、あるいは日露、日米、そして日朝を含めて、基本的には個別2国間の安全保障の対話をしっかりやりながら、集団安全保障の枠組みを東アジアに構築していくことが、日本の外交戦略としてとても大切だろう。

横路 ドイツ元首相のシュミットさんから、日本は本当にアジアに友人がいるのだろうかと言われ、ドイツは近隣諸国とこういう交流をしているという話を聞いたことがある。フランス大統領と少なくとも月に1回会うか電話で話をして、大事な政策も事前に説明していた。それだけコミュニケーションを交わして一生懸命努力していた。さらにドイツが中心になって近隣諸国とは歴史教科書の突き合せをして、歴史観を共有するという努力を積み重ねてきている。EUに至るにはいろんな努力をしてきた。だから東西ドイツが統一するとき、イギリスのサッチャー首相は反対したが、フランスはこれに賛成した。それはドイツの努力の結果だ。日本も韓国、中国との間も、出来るだけ顔を合わせて意見を交わすことが非常に大切だ。今度の北朝鮮に小泉さんが行くことも支持している。北朝鮮との間には拉致問題とか不審船などがあるが、お互いに議論したいことは全部出して、それを全部、どれが優先などと言わないで、分科会などを作って米朝協議のような交渉をすべきだ。今回小泉さんが行くだけでですべて成功にはならないが、行くことには意味があると思う。

鳩山 今回の小泉さんの訪朝は評価する。ただ、それに当たって、3つの原則だけは守ってもらいたい。北朝鮮の柔軟な対応には日本もそれなりの対応を図ること。二つ目には、日本の安全保障を脅かすような状況を決して作らないこと。それは拉致問題、不審船、あるいはミサイル等のことだ。もう一つは、日米韓の協力体制、連携をしっかりと図ること。この3つの前提の下で、しっかりと交渉をしてもらいたい。どのような成果を挙げてくるのかをこれから判断したい。そして、一言アジアの外交に関して言えば、日米同盟は大切にしながら、やはりアメリカとはより適切な間合いを取ることが重要であり、むしろ日本としてはアジアの一員であるという方向により重点を置くべきだ。一言だけ言えば、不戦共同体という考え方を、自分が訪れたすべての国々の代表に言っている。不戦共同体というものを作り上げていくことによって、ヨーロッパにおいてできた共同体思想というものを、将来アジアにしっかりと作っていきたい。

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